芥川の古典怪談集から「天狗にさらわれた侍」

~芥川龍之介『俶図志異』から、朗読用に現代語訳した文章です。タイトルは、自分で付けさせていただきました。怪談コレクターとしての、芥川のセンスをお楽しみください↓↓↓

これは、桜町天皇の御世(みよ)のとき、元文五年にあったことである。

元文五年は、西暦では1740年になる。

この年、比叡山の西塔、釈迦堂の御修理があった。

これを采配した奉行は、江州信楽の代官、多羅尾(たらお)四郎左エ門と、もう一人は、大津の代官、石原清左エ門であった。

その石原の家来に、木内(きうち)兵左エ門という三十をいくつか過ぎた人がいた。

この人が、あるときふと、ゆくえ知れずとなった。

三月七日の、申(さる)の刻であった。

人々は、方々さがしまわった。

すると、行栄院という寺の玄関前に、下駄が片方落ちていた。

ひろいあげると、兵左エ門のものだった。

寺の内庭には、もう片方が落ちていた。

怪しみながら見てみると、庭の隅にある弁天の社(やしろ)の前に、兵左エ門の脇差が転がっていた。

その鞘は砕かれ、刀身は鍋の吊るしのようにまがり、脇差に添えている小柄(こづか)は、三つに折れていた。

さては、天狗のしわざか。

と、人々は悟った。

そのあとも方々さがしまわったが、まったく見つけることができなかった。

ついに、山にあるあちこちの寺でも祈祷をはじめた。

慈恵大師(じけいだいし)の墓所をはじめ、魔界に通じるいくつかの場所まで人をわけて、さがした。

そして真夜中。

はや、丑満時かと思われたそのとき。

どこからともなく大風がふくような音で

「たのもう、たのもう」

と、よびかける声がきこえた。

おりしもそのときは大雨で、くわえて雪もふかく、外のものは形もよく見えぬほどだったが、あるものがその声をたよりに、釈迦堂の庭に出てみた。

鈴木七郎という人だった。

七郎がお堂の上を見あげると、屋根の上に誰かがいた。

羽をつけた、異形の姿の男だった。

男は、「恐ろしい、おろしてくれ」と云う。

七郎が

「兵左エ門か」と問うと、

「そうである」と答えた。

よくよく見ると、羽と見えたのは破れ傘をひらきかけたものだった。

それから人々が集まり、四郎兵エ(しろべえ)という下働きのものが屋根にあがった。

「迎えに来ました」と声をかけると、兵左エ門は傘をすてた。

四郎兵エは兵左エ門を帯で背中にくくりつけ、腹ばいになっておりた。

それから三日ほどのちのこと。

兵左エ門は、ようやく正気にもどった。

人々が問うと、兵左エ門はこう語った。

「あの日、申の刻と思われたころ。

どこからともなく自分の名をよぶ声がするので、部屋から外に出てみた。

すると玄関の前に、ちいさな法師がいた。

黒い衣に、みじかいくくり袴(ばかま)をはいており、それが「兵左エ門」と、よぶ。

近くに寄ると、もう一人いた。

こちらは顔が赤く、黒い髪は、みだれて地面にひきずるくらい長くのびていたが、ちゃんとした装束をつけていた。

その異形のものが、「屋根の上に、あがれ」と云う。

主がいる身なのでそうはゆかぬ、と云って脇差に手をかけようとした。

だが異形のものは脇差をうばいとり、庭の隅になげつけた。 

鞘は砕け、刀身は鍋の吊るしのように折れまがった。

さらに、「下帯も、とれ」と云う。

「これだけは、ゆるしてくれ」と、たのんだが「すてよ」と云う。

あきらめて下帯をとると、かの者はそれを、もっていた杖にかけた。

と、みるやたちまち三つに帯が切れた。

こうして玄関の屋根にあげられて、「云うことに、そむいたな」と杖でさんざんに打たれた。

するとそこへ、身の丈三メートルあまりの赤い衣を着た僧がやって来た。

「やめよ」と叱ってこれをとどめると、なにやらヒソヒソと、かのものにささやいていた。

そのとき気づいたのだが、屋根の上、六・七メートルむこうに、さらに六人ばかりいるのが見えた。

そしてその異形のものたちは、

「われらと共にゆくべし」と云った。

これは、そむかぬほうがよい、と思ったので指図にしたがった。

すると「これに乗れ」と云って、まるいお盆のような物を出したのでこの上に乗ると、さきほどの小法師が自分の両肩に手をかけた。

そのまま、ぐっと下へ押しつけられたと思ったら、たちまち足元が浮き、空高くあがっていた。

「よし。しからば秋葉山(あきはさん)へゆく」と云って、広い海の上を飛んでゆく。

あまりの事に恐ろしく思っていると、あの僧の姿のものがこう云った。

「水も漂わすこと能(あた)わず、と云えば、恐れることはない」

自分は目をふさいで通った。

そうこうしているうちに、秋葉山と思われる山の上に来た。

下を見ると、三十メートルはあると思われる深い谷の底に火があって、はげしく燃えさかっている。

異形のものが云った。

「この下へ、飛びおりろ」

火の中に落ちたら焼け死ぬ、と恐れていると、かの僧がまた云った。

「火も焼くこと能わず、と云えば恐れることはない」

そこで、目をふさいだまま、お盆の上から飛びおりた。

すると、平らな岩の上に立った。

広さは、五・六畳ばかりもあった。

異形のものたちは、この上で少し休んだ。

それから妙義山、英彦山、鹿島などへゆき、その他いずこともなく色々なところを見物した。

自分には、もうすでに十日あまりも過ぎたかと思われた。

そこで、「どうか、帰らせてください」とたのむと、どこからか白髪の翁(おきな)が出てきて、

「ならば、金銀をとらせてやろう」と云った。

大判小判、それに一分銀が山のように出された。

「これらの金は、いくら使ってもなくなることは、ないぞ」

しかし僧の姿のものがこう云った。

「その金をとれば、そのほうの二人の叔母の命が、一年ずつちぢまることになる」

自分は、

「叔母の命がちぢまることは、なげかわしく思います」と云って、ことわった。

すると異形のものたちは、こう云った。

「そのほうは、感心なやつだ。

ならば、一生安泰に暮らせるように、秘密の薬方と行法を教えよう。

薬方の薬のうちの一つは、この叡山の外にはない。

そしてこの薬の処方は、人におしえてはならぬ。

また、今後三年間は、身と心を清浄にせよ。

とくに女との不浄は、かたくつつしみ行法をおこたるな。

さて、このようにそのほうを戒めるのは、わけがある。

それは、いまやすべての人間たちは山を粗末にしており、そんな悪しき心をもった人間たちへの、みせしめとすることである。

帰ったら、人々につたえよ」

丑の刻、自分は本堂の屋根におろされた。

異形のものたちは、もういなかった。

僧の姿のものだけが残った。

僧は、「たのもう、たのもう」と大声で人をよんだ。

自分は、思わずこう云った。

「わたしをこのように助けって下さったお坊さまは、いかなる方ですか」

「われは、この叡山に九百年住むものである」

それから、四郎兵エが自分をおろすために、屋根にあがってくるのが見えた。

だが気がつくと、僧の姿も消えていた」

以上が、兵左エ門が語ったことである。(了)

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