etc.
(Diary)

・世界の教会から・
(「世界の車窓から」をマネて、 教会巡りを綴ります)

#1
ドイツ・ライヒェナウ島の聖ゲオルク教会(St.Georg)


今回の滞在先、コンスタンツから電車で4駅。
駅からボーデン湖に浮かぶ島へは、バスが通ってますが。
本数が少ないので、歩いちゃえっと。
しかし、、、
この日は、朝からスゴい霧。
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うわー、、、(寂しい)
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しかも濃くなってくるんですけど。
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途中、怪しげな石垣を発見。登れるみたい。
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そこからの眺め。ますます寂しい眺め。
(気が滅入ってくる)
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やっと晴れてきたっ。
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見えてきたぞっ。
(やっと自撮りする余裕が)
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ブドウ畑かな?
この辺は、ワインの産地。
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道の反対側は、凍ったボーデン湖。
スケートして遊ぶ人々。
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世界遺産、聖ゲオルク教会。
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反対側から入るのかな?
入り口発見。
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おお。
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扉を開けると、短い通路。
その窓のディテールが良いなぁ。
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もうひとつの扉を開けると、、
わー。
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すばらしー
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静か。
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光。
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あたたかい。
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入ってきた扉の上の、壁画。
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これらのフレスコ画は、10〜11世紀のもの。
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決して上手いわけじゃないんだけど
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なんかイイなぁ。
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これらの壁画、補修が大変だったそう。
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1時間くらい居ました。
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出ようとしたらこの扉が開けられず、
助けて貰いました(ありがとう)。
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あー、素晴らしかった。
胸いっぱいー¥
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また来たいー。
(次回 #2 に続きます)

2016.11.10
ありがとうございました、大道芸ワールドカップin静岡。

今回の、静岡でのラストの回。
初めてぼくは、自分の芸名「Shiva」の意味、『破壊と創造の神』をショウに出来ました。それは大勢のお客さんのおかげです。開始30分前からお客さんが集まり始め、20分前にはもう100人近くに。こんなことは、全くもってはじめてなのでぼくはビビりました。

恐るべし、静岡。
なにかしなければ。
幸いに前の回のネンドを崩してなかったので、その破壊作業を開始時刻までみせました。そして無音ではつまらないので、エレキギターとシンセエフェクトを使って、シンプルな空間系の音を演奏しループ再生。はじめてこのギターが有効に使えました。

ショウもネンドも、満足の出来でした。
こんなに大勢のお客さんに最後まで見て貰えたのは、初めてです。
(「はじめて」がいっぱい)。

このnendo-manを始めてまる3年、やっと「認められた」という実感を掴めました。

まさかこのパフォーマンス博覧会のような静岡で、世界初の無謀な粘土造形ショウを、こんなにたくさんのお客さんに最後まで観て頂けるなんて。
長かったです。
この時が来るのが。

静岡のお客さん、ぼくのnendo-manを選んでいただいたスタッフの方々、ホントにありがとうございました。今回の大道芸ワールドカップin静岡を、ぼくは決して忘れません。

しかし、同時に起こった数々の滑稽な失敗を以下に書き綴ってみました¥
たのしく読んでいただければ、幸いです。
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2016. 11.10 大道芸ワールドカップin 静岡の思い出
(この日記は、今回の「大道芸ワールドカップin 静岡」での自分の忘れがたい行動を自虐的に振り返るものです)。

#1
初日(ぼくのとっての) 、11/4

朝6:00、東京の自宅で2枚の食パンを食べて静岡へ。まさか、これだけが今日1日のガソリンになるとも知らず。。。

9:00、静岡駅に着いて伝馬町の宅配便センターへ。前もって送っておいた荷物を受け取り、手持ちで運んできた台車に積む。ここまでは予定通り。しかし、、甘かったです。
160サイズ2つ・17kgと23kgの荷物&巨大なスピーカーアンプを一度に載せた小さな台車は、5分も移動したところで呆気無く転倒。

絶好の晴天。
強烈な日差し。
あと10分で朝礼が始まる。

タラタラと汗が流れる。
死に物狂いで路上で荷物と梱包ゴムベルトと格闘。その横を、赤いふたつのスポンジボールがびょんびょん跳ねる大道芸グッズを頭に付けたお客さんたちが、怪訝な目で通り過ぎる。

ほぅ、あれも出演者かなぁ。
なにかの演技なのかしらん。

はいすみません、出演者です。
でも、演技ではありませんっっ。
なんとか体勢を立て直して公園に着くも、その配置は例年とはすっかり変わっていて。

ど、どこだ〜
本部はっっ!
(注: ちゃんとガイドブックに描いてある)。

必死に台車で走り回り、2度目の転倒。
まる2日に渡り、英字新聞で美しくデコした段ボール箱は哀れひしゃげてしまい、

遅刻。

結局ポイントまでの荷物運搬は、もっきー氏に手伝って貰いました(涙)。

肝心のパフォーマンスは、粘土造形の出来は良かったがギターはボロボロで、撤収も忘れてポイントでサウンドチェックに明け暮れてました。この日はフリンジ部門の交流会があり、21時の待ち合わせの前に、慌ててコンビニで買ってほおばったコッペパンが、この日2度目の食事。

気が付けば、14時間近くもコーヒー以外は何も口にしていなかったです、、。

(#2につづく)

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#2
2日目、11/5

2日目にして早くもヘヴィな疲労感。
朝礼後に今日もギンギンな日差しの下を、控え室のビルに向かう途中、ひっそりとした佇まいのどんぶり屋さんを発見。

ほぅ、ワンコインでマグロ定食かぁ。

何も考えずふらっと入って、自ら給食スタイルでお椀にそそいだ味噌汁をすすった瞬間。
実はそれは魚のあら汁で、

ほわーーーっっ、、、

と、疲労がブッ飛んでゆきました。
恐るべし、魚パワー。

すっかり元気になって、ポイントへ¥
セクシーダヴィンチさんとテレコでした。
なぜか、セクシーさんとは同じポイントになる事が多いのです。(何故?)
そして、圧倒的なカリスマパワーを見せ付けられます。

今回は特に尋常でないシャーマンっぷりで、老若男女問わず皆さんがニコニコと手を叩いて楽しんでおられます。
むぅ。
それに引き替えこのわたしは。

1回目はギターのセッティングが間に合わず、2回目はカッティング演奏のクライマックス中にあわれピックがヘシ折れ、、、
ココロの中で悲鳴。
当然、ぼくの表情に反映されぬはずは無く、

?????
のランプが前列のお客さんたちの頭上に点灯しているのが、ハッキリ見えました。

あいつ、なにをビックリしてるんだろう?

ぴっくが折れちゃったんですーーー!

うむ。
ぼくは、浅はかでした。
なんとか誤魔化しながら最後まで弾きましたが、「弾いただけ」でした。

この後のナイトパフォーマンスではさすがに懲りて、ギターはやめてBwana(トロントのDJ )の「アキラ」remixをBGMに。
実はこの秋シーズンは、これがメインBGMでした。

ガムランと4つ打ちビートが融合したこの曲は、今回の静岡ナイトでも旨くハマりました。しかし終演後にお客さんから

「ギター弾かないんですか?」

ああ申し訳無い。
どうしよう。

と、心の中で延々とつぶやきながら例のごとく1時間以上も、撤収作業は続きました。

(#3につづく)

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「これ(ギター)を使うのは、静岡が始めてですっ!」。
なぜか、わきあがる拍手。

今回、使用のBGM。
Bwana - Capsule's Pride (Bikes)

#3
3日目、11/6

ラストのこの日は、駿府城公園の東御門がポイント。このときには、初日のパニクり具合から大幅な進歩を遂げていました。

ひとりで40kgの荷物が載った台車と、大きなスピーカーアンプをくくったカートを片手ずつで絶妙なハンドリング。
路面の凹凸を読みながら、なんの問題も無くスムーズな運搬。
ひとり得意な気分まで味わってました。

ふふふふ、見たかっ!
(注: ばか)。

そんなことより、パフォーマンスでしっかり仕事しなければなりません。

ところが最終回は、自分の予想を上回る大勢のお客さんが集まって、なぜかギターも即興で上手くハマってしまい、モデルさん選びから粘土の出来まで何から何までカンペキにハマって、

や、やっと、、、!!

と感無量。
そうかーーー、
みんな(控え室で会うパフォーマーのみんな)は、この景色を見ていたのかーー!

と、やっと分かりました。
昨夜挨拶した韓国のディレクターも見に来てくれ、「連絡を取り合おう」ということになりました。

あー、よかった。
がんばってよかったーー。
と惚けてしまったせいか、その夜は飲みすぎて真っ赤っかにヨッパラってしまいました。
そして翌日。
やや酒が残りながらも荷物を宅配便に出して、さらば静岡。と駅に向かっていたら、、

突然テレビ局の街頭インタビューに、キャッチされてしまいました。
そのお題目は、

「いままでいちばん焦ったときは?」

いやぁ。
聞いてくださいよ。
もう、荷物が転倒しちゃって、、、

放映は、師走頃だそうです。
(終)
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朱墨を、昔ながらの霧吹きで吹いて色を付けます。

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鼻の穴を狙ってます(スミマセン)。

ちなみに、今回狙っていたギターは、こんな音です。
BossのSlicerエフェクターです。

ありがとうございましたっ。FullSizeRender.jpg

2016. 9. 16 セミのぬけがら

7月のある夜、道をあるいていたら、ちいさな子猫と出会いました。
その子猫は、地面に向かって弱気な「ねこぱんち」を繰り出してました。
よく見ると、ちっちゃな茶色の物体がのっそりとあるいていました。
それは、セミの幼虫でした。
羽化の場所を求めて地上に出てきたところだったのでしょう。
何年も地中にいたそのちっちゃなセミのほうが、子猫よりはるかに
「年配」であったでしょう。
そのスローな動きには、異様な迫力がありました。
ここにあげた写真は、部屋にひきこもって作業していた夏の生活の合間に、
近所の公園で撮ったセミのぬけがらです。
今年の夏も終わりました。
セミの鳴き声も、終わりました。

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2016.6.15 ネンドマンのインスタグラム

しばらく途絶えていたネンドマンのインスタグラムを、再開しました。
これまで作った作品の写真を、ひとつずつ掲載してます。
nendomanshiva >

現在(6月15日現在)までネンドマンは、合計157人作ってますが、このインスタグラムには最初の1人目から順にアップし、いわゆる『アーカイブ』となってます(現在86人まで掲載)。

最初の1人目は、忘れもしない2013年10月のフェス「新宿芸術天国」にて。
会場はなんと、新宿サブナード地下街。
この空間で、ネンドの仕上げにスプレーを使うことが懸念されたので、墨汁を霧吹きで吹いて仕上げました。
(しかも口で吹くタイプ、、)。

黒いスーツ姿になって始めての現場は、同月の上野公園での「ヘブンTOKYO」。
雨が降りしきるなか、ネンドはみるみるうちに『泥』と化してゆき、パニック。
苦闘の果てに雨上がりの陽光が差してきたことも、忘れられません。

いちど作った方は、だいたい覚えています。極度に集中して「顔」を観て創る行為は、しっかりとそれを脳味噌に刻むようです。

外でのパフォーマンスにはキビしい梅雨の季節ですが、修行のつもりで何とか頑張りたいと思います。

2016.6.3 上海

喧騒に満ちた街、上海。
免許が無くても乗れる電動スクーターが堂々と歩道を走り、アディダスとモノトーンファッションに身を固めたキッズたちが大声で走り抜け、地下鉄からビジネス街まで生活臭と体臭(文字通り)に満ちた街。
ベンツやジャガーが流れる車道を、ちんちんとベルを鳴らす行商のオヤジさんのリヤカーも流れてゆく。
コンビニの店員から、八百屋のおばさんまで「いい子」を演じている人はまったくおらず、閉店間際のレストランでは、こちらがまだ食事中なのにあちらはとっくに着替えていて、スマホをいじりながら退勤までの時間を潰していたりする。
これは、とても楽だ。
その代わり、ここで生きるにはハッキリ自己主張せねばならず、そうとうタフでなければならないだろう。
また、行きたい。

以上、上海でのお仕事の合間のインプレッションでした。
肝心なお仕事の報告は、こちらのページ

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上海にて。2016年、5月。
Shanghai, May 2016.

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2016.5.13 ライフワークのネンドマン

ゴールデンウィーク中のお仕事が終了しました。
2つの大道芸フェスに出演したネンドマンは、本当はぜんぜん大道芸じゃありません。にも書きましたが、このパフォーマンスは大道芸に求められる
「集客」「好感度」の2つを全然満たしていないからです。
では、なぜこのパフォーマンスを続けているかというと、僕はこれをライフワークにしたいからです。

最近noteに、かつて僕が作った舞台マイムの脚本を掲載する試みを始めたのですが、つくづく思うのは、ここに載せようとしているどの作品も、同じテーマで作っていたということです。
同じテーマを、お話こそ違いますが何度も繰り返しているのです。
ネンドマンも、ひたすら他人の顔を作っています。
いま、150人に達しました。
この数は、全然足りません。
こういうものが社会で説得力を持つのは、500、1000のセカイだと思うからです。

僕はもう、43歳です。
「死ぬまでにコレを続けていた」というものが、いま必要です。

舞台マイムをライフワークにすることは、諦めました。
お客さんとの関係が、とても小さなセカイだったからです。
(でも、やり切ったので、後悔はありません)。
ネンドマンが目指すのは、アートエンタテイナメントです。
ようやく入り口をくぐったところです。
白リーマン同様これからも、よろしくネンドマン。

 「レヴェナント」は、長くない

映画「レヴェナント」を観た。
名作だった。
このアレハンドロ監督の前作、「バードマン」は傑作であったが、このレヴェナントは「名作」。
あまりに正統派手法で妥協なく作られたこの映画は、この2016年には映画というよりアートと呼んだほうがふさわしいかもしれない。

そう思うのは、この作品に対して少し的外れな批評や、ミスリーディングを誘う予告編がオフィシャルに流れているせいもある。

まず、この映画は予告編が予告しているような「復讐」を描いた作品ではない。
復讐は、アレハンドロ監督が観客に鑑賞を続けさせるために用意したサービスのモチーフに過ぎなくて、それはこの映画のテーマではない。

また、何人もの映画「批評」ライターの方々も指摘している「長過ぎ」という点も、的外れ。
この「長過ぎ」が無ければ、監督がこの映画で狙った構造的効果は着地しない。
すなわちそれは、ガルシア・マルケスに代表されるラテンアメリカ文学の「語り口」。

いっこうに物語は進まない。
ムダとも思える状況描写の執拗な積み重ね。

ミニマル・ミュージックと同質の、常に「現在」を、ただただ見せることに特化した手法。

僕は、マルケスらのラテンアメリカ文学と、スティーブ・ライヒらのミニマル・ミュージックに、同じ指向性を感じる。
それは、もはやYouTubeすら1分しか鑑賞出来ないせっかちな「ユーザー」(もはや観客では無い)には、理解不能な時間軸だ。

この映画は、構造物として見なければならない。
ストーリーにカタルシスを求める映画では無いのだ。

「レヴェナント」は、あえて過去の映画作品に例えるとするならば、マイケル・チミノ監督の「天国の門」に近いと思う。
あの、ムダとも思える輪舞の執拗な描写。
あの映画に輪舞のシーンは、テーマを変えて3つ登場する。

しかしそのモチーフのテーマは、最後にクライマックスの殺戮に据えられ、運動のダイナミズムにのみ特化した感情度ゼロの映像に、観客は言語を失う絶大な効果を上げる。

映像そのもの、映像鑑賞時間が語る、という構造的映画が間違いなくあり「レヴェナント」や「天国の門」がそれにあたる。

よく、いまの時代に「レヴェナント」のような企画が通ったと思う。
そして、ディカプリオの演技力は凄すぎる。
彼に匹敵する映画俳優は、いまの日本には1人もいない。

もう一回観たい。
これはスクリーンで舐め尽くさないと、失礼な映画だ。
長文失礼致しました。

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 ディン・Q・レ展

ちょっと前のことになりますが、「ディン・Q・レ展 明日への記憶」を森美術館で観ました。観に行ったキッカケは、糸井さんの「ほぼ日」で読んだディンさんへのインタビューです。僕は以前から、美術館のチラシを通してこの展示を知っていましたが、、、正直どんな作家なのか、ピンと来ませんでした。
が、「ほぼ日」のシンプルなインタビュー記事を読んで、ビンビンくるものを感じました。
『これは、これは絶対に行かねば!』

それは、ベトナム人であるディンさんの作品が、 
『大きな歴史の陰にいた、名も無いひとびとの、それぞれの物語』
をテーマにしていたからです。グローバルという呪文で、より閉塞感に満ちてしまった今の時代に、なんてタイムリーな作家なんだと思いました。
そもそも僕は、小学校に通っていたときから、教室の壁にあった歴史の年表とか、歴史の授業が嫌いでした。

「なんで、暴力と権力で支配した人々の物語ばかりなの?」
「同じ時代に生きていた普通のひとたちは、それに比べて語る価値が無いというの?」

ディンさんの作品は、そんな子供時代の僕のクエスチョンに、優しいアンサーをもたらしてくれました。今までアメリカの側からばかり語られた(それを皮肉っている作品もあります)ベトナム戦争のエピソードを、ベトナム人の側から抽出する。
しかし被害者意識だけではありません。ノーサイドの視点があります。正義か悪か、白か黒か、敵か味方か、という二元的思考では無いのです。

僕が好きだったのは、難民船事故で命を落とした人々を、おびただしい数の写真で見立てた作品。これは、とても演劇的な作品です。写真は、全て裏返して床にまき散らされ、観客がひとつひとつ裏返して見れるようにしてあります。これがなかなかイイのです。
命を写真という「記憶」に託していることで、それをひとつひとつ拾って裏返して観るうちに、そこに写っている人々の、生活ー記憶ー命に思いを傾けてゆくことになります。僕はこれに夢中になってしまい、なかなかやめられませんでした。みごとな、みごとな参加型インスタレーションでした。

アートって、こういうストーリーテリングも出来るんですね。。
まったく、まったくブラボーでした。

ディンさん、アジアでは初の大規模な回顧展だそうです。僕は韓国や香港発のポップカルチャーや才能が、すでに日本を凌駕しつつあると思っているので、これからは国内よりもそういった国々の作家に注目しなければいけません。
それにしても、いまの時代は作品を作るヒトが、その作品を分かり易い言葉で語ることが、大事ですね。。。かっこいいチラシを作るとかじゃ、なくて。「ほぼ日」さんの記事が無かったら、観に行かないところでした。

僕も考えを変えるべく、努力しなければ。
(ちなみにこの展示は、写真撮影オッケーでした)

おびただしい写真の数々。
一枚一枚が、ほんとの市井の人々の記念写真。

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 春画展

「春画展」を観に行きました。
あっけらかんと笑っても見られる。
美術品として、じっくり観察もできる。
あらためて思いました。
春画は見る人みんなが作品に参加出来る、おおらかで素晴らしいコンテンツです。

ぼくは少々ひねくれものなので、性の「倦怠感」や「時間」が描かれている春画が好きです。
そういう点で、歌麿は最高です。
もうほとんど映画です。
いっぽうで、官能に溺れる肉体のリアリズムをデッサン的に追求した作品も、好きです。春画そのものには、そういう作品は少ないのですが、今回の会場には一点だけありました。(「耽溺図断簡」)。

 そりかえる足の指のリズムある描線
 肉の重みに満ちた輪郭
 アクセントポイントのお歯黒
 そしてお世辞にも美形ともいえぬ中年の男女の、顔

うおぉぉぉぉ・・・
と心の中で叫びながら、凝視しまくってました。
ふと周りをみると、

2人連れで来ている女性たちの楽しそうなこと。
その隣りには、じっ・・・と熱心に見つめている1人の方。
ぼくは、いろんな美術展を観に行く度に、企画によって客層が如実に変わるなぁと感じてきました。
が、この春画展は、あらゆる層のひとたちが観にきているのが印象的でした。
しかも、みんなそれぞれに喜んでみている。

この企画、20ちかくの国内美術館に断られたそうです。
・・・勿体ないっ!
平日なのに、大入り御礼じゃないですか。
素晴らしいっ。
風俗ばんざいっ。
そしてお土産の図録の意匠がまた、絶妙なセンス。
こんな面白いモノは、18才以下に見せるには勿体ない¥

みるからに、イケナイ香りが漂う図録。

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 クマのぬいぐるみ

ぼくの家には、ちいさなクマたちが棲んでいる。
彼ら(彼女ら?)は、ぬいぐるみである。

始まりは、覚えていない。
ただ、一匹の白いクマとの出会いは鮮明に覚えている。
仕事帰りに寄った、駅構内の雑貨店。
『オトナの為の』こじゃれた文具や雑貨が並んだ店内の隅に、
それは座っていた(寝ていた?)。

その小さな姿が視界に入った瞬間、

「いかーーーーん!!」

とぼくの脳は、ぴきゅーんと危険シグナルを全身すみずみに送った。

やばし。
やばし、この愛おしさ。
この白さ。
フワフワさ。
(ぼくの右手の指先は、彼女の右足や左手をチェックしている)。

そして、なによりこの、「醒めた無抵抗感」。

・・・冷静を装い、意味もなく店内を一周してから、おもむろに
彼女(なぜか♀と確信)を、右手で掴んでレジへ。

そんなふうに、街中でクマのぬいぐるみを発見する度に、ぼくの
センサーは反応する。
でも、ぼくはコレクターじゃない。
手に取ってはみるものの、レジまで同行をお願いするのは稀である。
捨て置くのは、

「可愛がって¥¥」

と、いう何のヒネリもない媚に満ちたクマたち。
ダメなのだ。そーいうのは。ごめんなさいである。

かくしてキビシい審査を経て、一匹ずつこの部屋にやって来る。
だが残念ながら、件の白い彼女は、この部屋で行方不明になってしまった。
目下、ゆるゆると捜索中である。

新参者には、面接が待っている。

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