Statue #3
~スタチュー(人間彫刻)パフォーマンスとは?~

「人間彫刻」パフォーマンスについてのエッセイ。
 スタチューの演技に不可欠な、
「静止」と「停止」の 違いについて。

#1:白リーマンの場合。
#2:いままで、こんなことを。
#3:「静止」と「停止」のちがい。
#4:中村勘三郎さんとの出会い。
#5:スタチューの演技:「じらし」と「ガマン」。

(今後の掲載予定)
#6:スタチューの演技:演技の「引き出し」

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第3回・「静止」と「停止」のちがい

今回は、スタチューのテクニックを述べたいと思います。「動かない」ということについての、私の考えかたです。ちょっと、哲学的(?)になってしまいますが、お付き合いを。
私が学んだポーリッシュマイム(ポーランドのパントマイム)の大師匠は、カナダ人のテリー・プレスさんでした。テリーさんは、かつて学校の先生だったこともあり、その指導のコトバは時にとても論理的かつ哲学的でもありました。私はいくつも重要なことをテリーさんの身体術だけでなく、そのコトバからも学び考えさせられました。それらは今、自分の「白リーマン」の演技に欠かせないものとなりました。

あるとき、テリーさんはレッスンで『彫刻』のエチュードを取り上げました。
生徒各自が、「彫刻作品」としてポージングしフリーズします。
しかし、それらはテリーさんが求めるそれとは、違うようでした。

・・「シバ、スティルネス『stillness』とストップ『stop』は、違うんだよ」

つまり、「ありつづける=静止のstiiness」と「やめる=停止のstop」という二つがあると。いつまでも感情のエネルギーがあるレベルで動いているので、結果として動いていない。それが、stillness。

たとえば、絶体絶命の恐怖にとりつかれて、絶叫したとします。身体は絶対に動かないでしょう。ありったけの恐怖のエネルギーは、口・顔だけでなく身体からも発散されていると思います。が、そのためにかえって「動けない」。
それこそが、「彫刻作品」の本質であると。感情のエネルギーが止っているから、動きも止っているのは、stop。それは「彫刻作品」ではない、とテリーさんは言いました。僕は、文字通り眼からウロコが落ちたような気がしました。

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過去の偉大な彫刻家が作った彫刻作品の多くは、唇が紙一重で開いています。
まるで、吐息が洩れてくるよう。
エネルギーは、脈々と流れているように見えます。

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これが、生き生きとまるで「今にも動き出しそう」にみせている。
唇を閉じるときは、固い決意・拒絶の意志表示のためにとってある。
でも、内側のエネルギーの動きが感じられますよね。

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極端な例ですが、自分の身体で「stillness」と「stop」の違いを感じることができます。
両腕を広げて立ってみてください。
その姿勢をキープします。
そのまま、大きく息を吸って、口からゆっくり吐き出してゆきます。

まずは、吐くことを途中で止めてみてください。
しばらくは、余裕でその姿勢をキープできると思います。
これが「停止」です。
なにも身体の内側のエネルギーに変化はありません。

こんどは、息を吐ききって、さらにお腹の底から絞り出すように吐こうとしてみてください。実際に息が出尽くされても、です。
次第に、手足が伸びてゆくような感覚、眼の奥あたりが上にひっぱられるような感じになってゆくのではないでしょうか。とてもツライです。物理的には動いてないのに、「もうカンベンして〜〜」という悲鳴のようなエネルギーが内側に満ちてきます。
これが、「静止」です。

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動かないように停止している、ではなくエネルギーがmaxのまま永遠の存在にありつづけている。
結果として『動けない』。
動かないのではなく、動けないのです。
それが存在感のパワーにつながるのです。

観客にとって芸術彫刻作品の魅力は、「今にも動き出しそう」にあります。
観客にとってスタチューパフォーマンスの魅力は、おなじく「今にも動き出しそう」、だが「演じているヒトはなかなか動かない」というジレンマを観客に与えること。ガマンしてるな、ツラそうだね〜〜と思われたらパフォーマーの負けで、うわ・今にも動き出しそうなエネルギーのままかよ!と思われたら本懐だと思います。

・・ああ、なんて辛いの〜〜?動けないというのは、、大変すぎです。テリーさんは、さらに「停止」がいけないのではなく、「静止」と使い分けよと言いました。まるで、ジェダイ育成講座です。いやはや、充実した日々でした。(私は、ダークサイドに堕ちてしまいましたが)

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