
昨年に引き続き、大晦日に白リーマンで出演しました。
こちらのホテルで年越しをされる宿泊の皆さんに向けての、パフォーマンスでした。レセプション付近でのスタチュー(画像)と、セカンドルームでのロービングでした。
お昼過ぎから、夜にかけての出番でした。50年代のアメリカ、というインテリアの非日常性と相まって、白リーマンの演技にもエンタメ度が増したと思います。
ありがとうございました。

電気怪談、ライブ水墨画、人間彫刻家のShiva

昨年に引き続き、大晦日に白リーマンで出演しました。
こちらのホテルで年越しをされる宿泊の皆さんに向けての、パフォーマンスでした。レセプション付近でのスタチュー(画像)と、セカンドルームでのロービングでした。
お昼過ぎから、夜にかけての出番でした。50年代のアメリカ、というインテリアの非日常性と相まって、白リーマンの演技にもエンタメ度が増したと思います。
ありがとうございました。
江戸時代から明治にかけて、代々首斬り役人を務めた「山田朝右衛門」。その八世、芳生が明治の新聞記者のインタビューに応えていました。この動画では、浅右衛門自らが処刑した二人の女囚、高橋お伝と夜嵐おきぬのエピソードを取り上げました。そしてラストに語られる、日本の死刑制度の因習。300人あまりの首を斬った男ならではの死生観も漂う言葉の数々を、語り作品にしました。
情報解禁となりました!
東京2025デフリンピックに出演します。
スクエア中央広場にて白リーマン(おそらくスタチュー)です。
会場は国立オリンピック記念青少年総合センター、最寄駅は三宮橋か代々木公園駅です。
入場無料です!
#デフリンピックスクエア
https://deaflympics2025-games.jp/main-info/deaflympicssquare/Deaflympics_Square_Contents_Overview/#ContentsOverview10&gsc.tab=0

今年も「房総のむら」にて、古典怪談を語らせていただきました。台風が通り過ぎた翌日の房総は、熱い湿気の壁が出来ているようでした。
「ここは火星か」と思いながら、屋外博物館房総のむらに辿り付き、夕方の古民家で音響のセッティング。モニタースピーカーからミキサー、マイク、マイクプリアンプまで持ち込み。


夜の闇に包まれてゆく古民家の座敷で、古典怪談を語った様子をYouTubeにUPしました。
お客さんを前にしてのトークから、自作曲の音響操作をしながらの古典怪談語り。ぜひ会場の雰囲気を味わって頂けたらと思います。約13分の動画です。
電気怪談の新作が出来ました!
今回は小泉八雲の「怪談」という本に収録されている「十六桜」というお話を映像化しました。例によって、自宅をスタジオのようにセッティングし、ワンカットずつ撮影しています。
原作は英語なのですが、優しい日本語で語り言葉を書きました。そして、物語のイメージに沿ったオリジナルの楽曲を作りました。
『現代の琵琶法師』をテーマに古典怪談を現代に蘇らせる一人プロジェクト、電気怪談をぜひご覧ください!
なお、語りのテキストを書く際に、自分が気をつけている文章作りの方法についても動画を作りました。
文章術に興味のある方は、ぜひこちらもご覧ください〜

12/1に、shibasaki modさんでのイベント、”ghost notes”に電気怪談で出演します。
予約サイトはこちら。
入力フォームの中の「お目当てのアーティスト」欄でShivaのところにチェックを入れてください。
僕の出番は最後、20:50-21:40の予定です。シンセサイザー、エレキギターも弾きます。ぜひぜひ足をお運びください!とっておきの古典怪談を弾き語りします。

~芥川龍之介『俶図志異』から、朗読用に現代語訳した文章です。タイトルは、自分で付けさせていただきました。怪談コレクターとしての、芥川のセンスをお楽しみください↓↓↓
これは、桜町天皇の御世(みよ)のとき、元文五年にあったことである。
元文五年は、西暦では1740年になる。
この年、比叡山の西塔、釈迦堂の御修理があった。
これを采配した奉行は、江州信楽の代官、多羅尾(たらお)四郎左エ門と、もう一人は、大津の代官、石原清左エ門であった。
その石原の家来に、木内(きうち)兵左エ門という三十をいくつか過ぎた人がいた。
この人が、あるときふと、ゆくえ知れずとなった。
三月七日の、申(さる)の刻であった。
人々は、方々さがしまわった。
すると、行栄院という寺の玄関前に、下駄が片方落ちていた。
ひろいあげると、兵左エ門のものだった。
寺の内庭には、もう片方が落ちていた。
怪しみながら見てみると、庭の隅にある弁天の社(やしろ)の前に、兵左エ門の脇差が転がっていた。
その鞘は砕かれ、刀身は鍋の吊るしのようにまがり、脇差に添えている小柄(こづか)は、三つに折れていた。
さては、天狗のしわざか。
と、人々は悟った。
そのあとも方々さがしまわったが、まったく見つけることができなかった。
ついに、山にあるあちこちの寺でも祈祷をはじめた。
慈恵大師(じけいだいし)の墓所をはじめ、魔界に通じるいくつかの場所まで人をわけて、さがした。
そして真夜中。
はや、丑満時かと思われたそのとき。
どこからともなく大風がふくような音で
「たのもう、たのもう」
と、よびかける声がきこえた。
おりしもそのときは大雨で、くわえて雪もふかく、外のものは形もよく見えぬほどだったが、あるものがその声をたよりに、釈迦堂の庭に出てみた。
鈴木七郎という人だった。
七郎がお堂の上を見あげると、屋根の上に誰かがいた。
羽をつけた、異形の姿の男だった。
男は、「恐ろしい、おろしてくれ」と云う。
七郎が
「兵左エ門か」と問うと、
「そうである」と答えた。
よくよく見ると、羽と見えたのは破れ傘をひらきかけたものだった。
それから人々が集まり、四郎兵エ(しろべえ)という下働きのものが屋根にあがった。
「迎えに来ました」と声をかけると、兵左エ門は傘をすてた。
四郎兵エは兵左エ門を帯で背中にくくりつけ、腹ばいになっておりた。
それから三日ほどのちのこと。
兵左エ門は、ようやく正気にもどった。
人々が問うと、兵左エ門はこう語った。
「あの日、申の刻と思われたころ。
どこからともなく自分の名をよぶ声がするので、部屋から外に出てみた。
すると玄関の前に、ちいさな法師がいた。
黒い衣に、みじかいくくり袴(ばかま)をはいており、それが「兵左エ門」と、よぶ。
近くに寄ると、もう一人いた。
こちらは顔が赤く、黒い髪は、みだれて地面にひきずるくらい長くのびていたが、ちゃんとした装束をつけていた。
その異形のものが、「屋根の上に、あがれ」と云う。
主がいる身なのでそうはゆかぬ、と云って脇差に手をかけようとした。
だが異形のものは脇差をうばいとり、庭の隅になげつけた。
鞘は砕け、刀身は鍋の吊るしのように折れまがった。
さらに、「下帯も、とれ」と云う。
「これだけは、ゆるしてくれ」と、たのんだが「すてよ」と云う。
あきらめて下帯をとると、かの者はそれを、もっていた杖にかけた。
と、みるやたちまち三つに帯が切れた。
こうして玄関の屋根にあげられて、「云うことに、そむいたな」と杖でさんざんに打たれた。
するとそこへ、身の丈三メートルあまりの赤い衣を着た僧がやって来た。
「やめよ」と叱ってこれをとどめると、なにやらヒソヒソと、かのものにささやいていた。
そのとき気づいたのだが、屋根の上、六・七メートルむこうに、さらに六人ばかりいるのが見えた。
そしてその異形のものたちは、
「われらと共にゆくべし」と云った。
これは、そむかぬほうがよい、と思ったので指図にしたがった。
すると「これに乗れ」と云って、まるいお盆のような物を出したのでこの上に乗ると、さきほどの小法師が自分の両肩に手をかけた。
そのまま、ぐっと下へ押しつけられたと思ったら、たちまち足元が浮き、空高くあがっていた。
「よし。しからば秋葉山(あきはさん)へゆく」と云って、広い海の上を飛んでゆく。
あまりの事に恐ろしく思っていると、あの僧の姿のものがこう云った。
「水も漂わすこと能(あた)わず、と云えば、恐れることはない」
自分は目をふさいで通った。
そうこうしているうちに、秋葉山と思われる山の上に来た。
下を見ると、三十メートルはあると思われる深い谷の底に火があって、はげしく燃えさかっている。
異形のものが云った。
「この下へ、飛びおりろ」
火の中に落ちたら焼け死ぬ、と恐れていると、かの僧がまた云った。
「火も焼くこと能わず、と云えば恐れることはない」
そこで、目をふさいだまま、お盆の上から飛びおりた。
すると、平らな岩の上に立った。
広さは、五・六畳ばかりもあった。
異形のものたちは、この上で少し休んだ。
それから妙義山、英彦山、鹿島などへゆき、その他いずこともなく色々なところを見物した。
自分には、もうすでに十日あまりも過ぎたかと思われた。
そこで、「どうか、帰らせてください」とたのむと、どこからか白髪の翁(おきな)が出てきて、
「ならば、金銀をとらせてやろう」と云った。
大判小判、それに一分銀が山のように出された。
「これらの金は、いくら使ってもなくなることは、ないぞ」
しかし僧の姿のものがこう云った。
「その金をとれば、そのほうの二人の叔母の命が、一年ずつちぢまることになる」
自分は、
「叔母の命がちぢまることは、なげかわしく思います」と云って、ことわった。
すると異形のものたちは、こう云った。
「そのほうは、感心なやつだ。
ならば、一生安泰に暮らせるように、秘密の薬方と行法を教えよう。
薬方の薬のうちの一つは、この叡山の外にはない。
そしてこの薬の処方は、人におしえてはならぬ。
また、今後三年間は、身と心を清浄にせよ。
とくに女との不浄は、かたくつつしみ行法をおこたるな。
さて、このようにそのほうを戒めるのは、わけがある。
それは、いまやすべての人間たちは山を粗末にしており、そんな悪しき心をもった人間たちへの、みせしめとすることである。
帰ったら、人々につたえよ」
丑の刻、自分は本堂の屋根におろされた。
異形のものたちは、もういなかった。
僧の姿のものだけが残った。
僧は、「たのもう、たのもう」と大声で人をよんだ。
自分は、思わずこう云った。
「わたしをこのように助けって下さったお坊さまは、いかなる方ですか」
「われは、この叡山に九百年住むものである」
それから、四郎兵エが自分をおろすために、屋根にあがってくるのが見えた。
だが気がつくと、僧の姿も消えていた」
以上が、兵左エ門が語ったことである。(了)
少し前のことですが今年も「房総のむら」にて、怪談語りを務めさせていただきました。8/3,4の2日間にわたり古民家にて30分間、古典怪談と怖い童話を語りました。今回は、小さなお子さんも参加でしたので(過去2回は『大人向けの怪談』)、演目や文章も分かりやすさを意識しました。鬼滅の刃にあやかって、鬼の演目を2日とも入れたり、小川未明さんの「赤い蝋燭と人魚」を語りテキストに編集して朗読したりしました。
子供達のキラキラした表情が印象的でした〜。

お知らせが遅れましたが、Youtube版電気怪談の新作をアップしました。
江戸・明治の古典怪談を、電気楽器の演奏を交えて現代語訳の語りでお届けするーーーそれが、僕の「電気怪談」ですが、今年から歴史の実話も取り上げています。こちらの動画では、斬首刑にあった新選組局長、近藤勇の死後のエピソードを取り上げています。
近藤勇は板橋で斬首刑にされました。ところが死後、その遺族の方々が刑場の埋葬地から首の無い勇の死体を密かに掘り出して、郷里まで運んでいたそうです。子母澤寛の「新選組始末記」に、勇の甥の勇五郎氏が語ったという逸話があります。その証言を元に、語り用のテキスト起こし、作曲、撮影編集まで全て一人でこなし、語り映像作品としました。
7分くらいの動画です。
こちらは、有名な龍馬暗殺事件を取り上げた作品です。
龍馬とともに凶刃に倒れた中岡慎太郎が、暗殺当夜の出来事を語るという構成です。中岡さんは、暗殺の二日後に亡くなっており、その間に土佐藩士の方々に暗殺の状況を語っていました。
どちらの作品も、僕自身が当事者になりすまして語るという仕掛けになっています。「葬送近藤勇」では勇五郎氏として、「龍馬暗殺」では中岡慎太郎さんとして語ります。
いずれも語りテキストは資料の証言に忠実に、ドラマ的演出は極力抑えて書きました。どちらもこだわって作った作品ですので、楽しんで頂けましたら幸いです。
3/30と31の二日間は、白リーマンでこちらの春イベントに出演。



たくさんの方々に観ていただきました。
今回は、1回20分の演技を1日4回。
ウォーキングアクト(練り歩き)とスタチューを交互に。

オブジェにもなりきりました。(休憩中)
ありがとうございました。